人間の命は人が瞬きする一瞬の間で生まれたり失われたりします。それを自分の意思で決めることはできません。例えば、明日、突然事故に遭うかもしれません。明日、突然大地震が起こるかもしれません。明日、何が起こるか本当にわかりません。命はこんなにもろくて、壊れやすいものであることを忘れてはいないでしょうか。でも、このことに気がついた人は限られた時間の中で必死に生きているのだと私は思います。実は最近私もこのことに、気がつきました。
私のおじさんは、一年前に癌と診断されました。家族にとって信じられない、というより信じたくない事実でした。それ以来、いい病院やいい医者、いい治療法があると聞いたらすぐにそこへ行き、おじさんが一日でも一時間でも一秒でも長く生きられるように家族は一生懸命看病しています。
たとえ結果が変わらなくてもあきらめる者はいません。あきらめたらおじさんの人生はそこで終わってしまうからです。私も元気なころのおじさんを思い出しては物語の呪文のように「頑張れ」「早く元気になってね」と心の中で何度も繰り返しました。おじさんの顔を見るたび、生きて言葉を交わしていることは、何よりも大切で幸せだと心から実感しました。
わたしは先日、おじさんの顔を見に、病院へ行きました。今のおじさんは前よりもやつれていました。おじさんの命はあと3ヶ月、長くても半年といわれていました。もしかしたら何ヶ月後かには今のようにおじさんの顔を見ながら、話したりご飯を食べたり、そんな簡単なことができなくなるかもしれないと思ったら悲しくてたまりませんでした。それでもおじさんはつらい治療に耐え、必死に生きようとしています。残されたわずかな時間を大切な家族と共に過ごしているのです。私は、そんなおじさん達を見ていると世の中で一番苦しくて辛いことは自分の大切な人が天国へ行くのをただ見ているだけで、何もできないことだと強く感じました。
今の社会には健康な人が、薬に手を出したり、自殺をしたり、自ら命を落とす人がいます。生きるということはゲームのように簡単なことではありません。誰でも自分の思い通りにいかないことはあるはずです。なのにどうして簡単に死を選ぶ人がいるのでしょうか。命を大切にしない人は悲しむ人がいることを忘れてはいませんかと私は思います。
みなさん、生きることが辛くて嫌になる時もあるかもしれません。けれど、おじさんのように辛い治療の中で必死に生きようとする人もいるのです。
かけっこで一等賞になるよりも、宝くじが当たるよりも、いい成績を取ることよりも、ここに生まれ、生きていることがすばらしい。こんな気持ちを持って、私自身のために、そして私を大切に思ってくれる人のために、一生懸命生きていきたいと私は思っています。
ご清聴ありがとうございました。