愛は心で伝えます

     風薫る季節となって参りました。皆さん、いかがお過ごしですか?

     日本に来てもう一年間になりました。皆さんの日本語もお上手になったようですね。

     インターネットで皆さんの成績を拝見して、心から喜んでいます。良い成績 おめでとうございます。一年間で零から一級になって本当にすばらしいと思います。一年間の努力でこんなに成果が出来て奇跡だと思います。自分で奇跡を作って何より最高の幸せだと思います。

     私も皆さんと同じように毎日奇跡を作っています。毎日新しいことを発見しています、毎日新しくて忙しい一日を迎えています、毎日新しい言葉を身につけています、これは私の幸せだと思います。ここでは中国で勉強できないことがあります、ここで中国でなかなか体験できないことがあります.辛いこと、珍しいこと、楽しいこと、悲しいことなど沢山あります。いろいろなことを味わって、いい勉強になるでしょう。毎日忙しいですが充実しています。来年の自分はもっとすばらしくなるでしょう。

      一年間で、日本語、そして、日本国、日本人、日本社会への見方が変わりました。日本語について、日本に来る前に、「多分日本へ行って、会話の方がすぐ上手になるでしょう」と思っていました。ここに来た後に、やっと分かりました。これはそんなに簡単じゃないと思います。もし自分があまり練習しないならば、いつまでも上手になれないと思います。回りの友達がいつも工場でアルバイトをしています、毎日機械を接触しており、会話の練習が少ないので三年間、四年間経ってもまだうまく通じません。だから、自分の勉強のやる方によって決まると思います。

     学校、区役所、郵便局・・・・・・どこでも勉強のチャンスです。特にアルバイト先が重要です、留学生の生活の五分の一はほとんどアルバイト先で過ごします。だから、私も中国講師として中国語を教えており、それ以外あるパン屋でアルバイトをしています。その仕事のおかげでコミュニケーションが出来て、会話がだんだんうまく通じるようになりました。自分が言いたいこともはっきり言えるようになりました。でも、外国語の勉強は難しく、日本語の表現が多様であり、本当の日本語らしい日本語が一番難しいと思います。だから、これはこれから私が努力しなければならないことだと思います。皆さんも同じように会話のチャンスを掴めて精いっぱい努力しなければならない、すると堪能な日本語がまた出来ると思います。

     「日本はどうですか。」日本に来てからよくこのように聞かれました。こちらでは青い空が見えるんです、輝いている星も見えるんです、朝小鳥の声も聞こえるんです。海に恵まれて、日本は綺麗な国だと思います。市民が環境意識を強く持っています、燃えるゴミと燃えないゴミをはっきり分けています。治安がよく、また印鑑社会です。整った法律のおかげで納税意識も強く持っています、秩序が保たれています。国民教育レベルが高く、教養も高いです。もちろん行列に対してもきちんと並びます。飲酒運転に対して、ものすごく厳しいです、罰金を払い、免許停止となり、同乗者も連帯責任を問われます。安定な生活を送ることが普通の国民の希望です。だから、こちらのお父さんも中国と同じように家族のために仕事を頑張っています、こちらのお母さんも中国と同じように子供のために朝食を作っています。こちらのおばあさんも中国と同じように子孫のために心配をしています。皆さんも安定な社会で静かで幸せな生活が出来るように願っています。

     こちらでよく中国の情報を放送しています、中国の景気はこちらのみなさんが一番羨ましいことになります。私の学生はほとんど中国へ市場を開拓するために中国語を勉強しています。シンセンスピートやシャンハイスピートは我々中国人の誇りになります。自分の国の進歩とともに成長ができてこれは我々の幸せでしょう。

     日本に来てから周りのクラスメートと友達のおかげでかなり順風満帆に進んでいます、日本のお母さんには何度も自分で植えた野菜を車で運んでもらっています。大根、玉葱、キューリ、そして、米もあります。「自分はお金持ちじゃないですが、心は豊だです、自分の幸せを皆に上げて、皆も幸せに出来て、これは本当の幸せです。」これはお父さんの言葉です。「留学生として一人で日本に来て、多分苦労がいっぱいするでしょう、辛いとき、寂しいとき、悲しいとき、いっぱい味わっているでしょう、家に来て、せめて5分ぐらい辛いことを忘れて、家族の一員として一緒に温かい晩御飯を食べて、家族の暖かさを味わってほしい。これは私の願いです。」お正月の時、家族の一員そして、私とクラスメートはお父さんのうちで年越しそばを食べました。「私は恩返しが必要がない、君達が周りの人々に上げてほしい、周りに困っている人がいればに手助してほしい、これは私の願いです。」初詣の途中お父さんはこう教えていただきました。お父さん、お母さんありがとうございます、ご両親のおかげで私は善良を勉強しました。

     石月先生と知り合えて、とうとう【恩師】という言葉が分かりました。魯迅先生の藤野先生と同じように、毎回レポートを先生に出して、赤いペンで直してもらって,助詞の問題まで教えてもらいます。勉強のことだけじゃなく、生活の悩みも先生と相談します。ある日、先生は私に食堂の味はどうと聞きました。私は答えが出来なかった、実は食堂の味が分からないですから。食堂で一食400円かかります、だから、私は毎日自分で手作り弁当を学校へもって行きます。日本の物価が高く、玉子だけが安いです、100円で6個買えます。だから、私はいつも 月曜日 玉葱と玉子の炒め物 火曜日 大根と玉子の炒め物 水曜日 トマトと玉子の炒め物 ・・・・・・・これはジョエンメニューになりました。すると、その日 先生はご馳走をされました。その後 よくおいしいものをもらいました。大学院受験の日、先生が階段で大きい声で「ジョエン、頑張って」わざわざ応援に来てくれました。その姿は人生でも忘れないでしょう。先生のために 試験に絶対負けてはいけません。幸いなことに試験に合格しました。これからも先生の期待に添うように頑張りたいと思います。先生から授業の知識だけではなく、先生の生き方と思想にも大きな影響を受けました。いつの日か 私も先生と同じようにすばらしい教師になりたい、私も先生と同じように優しいお母さんになりたい、先生と同じように自分の娘のためにおにぎりを作りたい、娘の成長とともに一緒に感動したい、愛は心で伝えます、先生から愛を勉強しました。

     今私は大学院の一年生として、新高しい一日を迎えています、地域文化専攻で世界のそれぞれの地域の文化を研究し、主として、言語学、文学、歴史の視点から、自国の文化、異文化、古代より現代社会に至る文化の発達について勉強し、永遠の古代作品「万葉集」、平安時代の上流女性文化、貴族のお嬢様の教養の一部としての和歌と連句、明治時代の私小説・・・・・・。【正直第一】これは日本の皇族が進学する【学習院】の校訓です。人間の誠実、人間の優しさ、人間の才能、人間の知的を育て、【正直第一】として教育しています。「他の人に迷惑を掛けないように、相手を尊重すべき、人間としての知恵――躾」は学習院の必修課程です。私はこれに共感しています、これからも正直で責任を持って生きて行きたいです。

     銀色の月の下で千万回で自分に尋ねます。「何のために生きて行くのでしょう。」――「美しい人生のために―――」

     朝5時からパンを作っている女の子は美しいでしょう、講台で輝いて「古典美学」を教えている女の子も美しいでしょう、食堂で静かに玉子料理を食べている女の子も美しいでしょう。夢のために精いっぱい頑張っている女の子も美しいでしょう。これからも美しい人生のために頑張って行きたいと思います。

     皆さんも美しい人生が送れるように頑張ってください。

     日本に来て一年間 いつも応援していただいている王院長と先生方に御礼を申し上げます、御幸せを心より祈念致しております。

 

 

《用心传递爱》翻译


  熏风吹过的季节来到了。各位,你们过得还好吗?
  来到日本已经有一年了,大家的日语也变得很擅长了吧。
  从英特网上了解了大家的成绩后,我从心里面感到十分地喜悦。恭喜你们取得了好成绩,一年的时间从零基础到一级真的是非常了不起。而我自己能够参与创造奇迹比什么都幸福。
  我也和大家一样每天都在创造着奇迹。每天都在发现着新事物、每天都在迎接着繁忙的一天、每天都在掌握着新的语言,我认为这也是我的幸福所在。在这里,有在中国学不到的东西,在这里,有在中国不易体验到的事情。难熬的事情,稀奇的事情,开心的事情,难过的事情都有许多许多。品尝了辛酸苦辣之后,也一定能够学到很多东西吧?每天虽然很忙,但却很充实,明年的我一定会变得更加优秀吧。
  一年的时间里,我对日本语、日本国、日本人还有日本社会的看法发生了变化。对于日语,在来日本之前,我想,[大概只要来到日本,会话就会立刻变得很上手吧]。来到这里之后,终于明白了一些事儿。会话上手不是这么容易的事儿,如果我不怎么练习的话,永远也不会变的很出色吧。身边的朋友总是在工厂里打着工,每天接触着机械,因为会话的练习机会很少,虽然经过了三年、四年的时间,说得却不是很流利。所以,我决定遵从自己的学习方法。
  学校、区政府、邮电局……到处都是学习的机会。特别是打工是最重要的,留学生的生活差不多五分之一都是在打工中度过的。所以,我也作为一个中国老师在教授着中国语,此外,还在面包店打着零工。由于工作的原因,我能够开展交流,会话水平也变得越来越流利了,自己想要表达的事情也能够很清楚的表达。但是,外国语的学习是很困难的,日语的表现形式又十分的多样,想要说出真正的和日本人一样的日语是十分难得。所以,这也是我从现在开始不得不努力去做的事情。各位,你们也一样要抓住会话的机会,一定要努力,这样的话,才能够说出漂亮的日本语。
  “日本怎么样啊”,来到日本之后经常被这样问道。在这儿,能够看到湛蓝的天空,能够看到闪闪发亮的星星,能够听到早上小鸟叽叽喳喳的叫声。我想日本一定是受到大海的恩惠,才会变成如此美丽的一个国家。市民们也有很强烈的环境保护意识,可燃垃圾和不可燃垃圾都分得非常清楚。治安也非常的好,并且还是一个印鉴社会。由于有完备的法律,所以人们的纳税意识都很强,并保障了社会的秩序。国民教育的水平很高,修养也很高。当然排队的时候也是规规矩矩地在排队,饮酒驾驶的话后果是十分可怕的,罚金很高,吊销驾照、搭乘该车的人也要连同受到惩罚。能过上安定的生活也是普通老百姓的希望。所以,我寄宿着的爸爸也和中国的老爸一样为了家庭而在努力工作着,这里的妈妈也和中国的母亲一样为了孩子每天做着早饭。这里的老奶奶也和中国的老奶奶一样,为了自己的子孙而担心着。我也祝愿各位能在一个安定的社会里静静地享受着幸福的生活。
  这儿也在经常播放着来自中国的新闻,中国景气的经济是这里的人最羡慕的了。我的学生们几乎都是为了开拓中国市场而学习中国语的。深圳速度和上海速度是我们中国人最夸耀的事儿了。伴随着自己国家的进步而成长也是我们的幸运吧。
  来到日本之后,多亏了身边的同班同学和好朋友们我的生活过得相当顺利,日本的妈妈也多次用车替我运载我自己种植的蔬菜。萝卜、洋葱、黄瓜、还有大米。“我虽然不是有钱人,但我的内心却很丰富,向大家传递我的幸福,大家也感受到了幸福,这才是真的幸福”这是父亲的原话。[作为一个留学生一个人来到日本,一定会有很多的辛苦吧,难熬的时候,寂寞的时候,悲伤的时候,一定会品尝到很多的吧。来到这个家后,至少这五分钟忘记了这些辛酸,作为家庭的一员一起享受着温馨的晚饭,想要一起感受家庭的温暖,这是我的一个心愿]正月的时候,作为家庭的一员,我和同学一起到日本的父亲那儿吃了年夜饭。“我不要你来报恩,我希望你们能帮助周围的人,周围有人困扰的话希望你们能帮助他们,这就是我的心愿。”在新年首次参拜寺院的路上,父亲这样告诉我。谢谢你们二位,从你们身上我学习到了善良。
  遇到石月老师之后,终于明白了“恩师”两个字的真正含义。就像鲁迅先生的老师藤野先生一样,每回向老师递交报告的时候,他都替我直接用红笔改正,并指出了我在助词方面的问题。不仅是学习上的事情,生活上的烦恼也常和老师一起讨论。有一天,老师问我食堂的饭菜味道怎么样。我回答不上来,因为我的确不知道食堂饭菜是什么样的味道。在食堂吃一顿饭要400日元,所以,我每天都是自己做便当带到学校。日本的物价很高,只有鸡蛋很便宜。100日元能买到6个。于是,我总是星期一吃洋葱炒鸡蛋、星期二吃萝卜炒鸡蛋、星期三吃番茄炒鸡蛋……这就是徐艳我的菜单啦。于是,那一天,老师邀请我一起用餐。这之后,总是能从她那儿得到许多好东西。研究生考试的那一天,老师在楼梯上用很大的声音对我说“徐艳,加油啊!”特意跑来为我加油助威。那时他的样子,我一辈子也忘不了。为了老师,这次的考试,我绝对不能输。幸运的是,考试终于合格了。从现在开始,我更要不辜负老师的期待,好好地加油努力。从老师那儿不仅得到的是上课的知识,老师的生活态度和思想对我的触动也很大。总想有一天,也能成为像老师那样的教师,我也想和老师一样成为一个慈祥的母亲,也想和老师一样为自己的女儿制作饭团,和女儿一起成长感动,用心传递爱,从老师那儿我学到了什么是爱。
  现在我作为研究生院的一年级学生,又迎来了更高层次的一天,我主修地域文化差异,研究着世界上各种各样不同的地域文化,主课有,从言语学、文学、历史学的角度,学习自己国家的文化、异文化,比较古代文化和现代文化从而学习文化的发展,永恒的古代作品《万叶集》、平安时代的上流女性文化、作为贵族大小姐修养的一部分的和歌和连句,明治时代的私人小说……。“正直第一”这是日本皇族研究学问的“学习院”的校训。人的诚实,人的善良,人的才能,人的智慧的教学、以“正直第一”作为立场来进行教学。“不要为他人带来困惑,应该要尊重对方,作为人的智慧——教养”是学习院的必修课程。我对此也有同感,从现在开始我也想要正直地负起责任的生活下去。
  在银色的月下,我曾千百回的探索过。“到底为了什么而生活下去?”——“为了美好的人生——”
  早上五点钟开始制作面包的女子是美丽的吧?在讲台上熠熠生辉地讲授着[古典美学]的女子也是美丽的吧?在食堂里安静地吃着鸡蛋料理的女子也是美丽的吧?为了梦想而竭尽全力努力奋斗的女子也是美丽的吧?因此,我想为了美丽的人生而努力奋斗下去。
  各位,也请你们为了过上美好的生活而努力奋斗吧!
  来到日本一年的时间里,总是能得到王院长和老师们的帮助和支持,在此向他们致礼,衷心的祝愿他们能幸福安康。
(杨振华译)

  徐燕老师大学毕业后来本院任教,后负责七宝分校,任分校校长。经学院推荐去日本樱花学园大学读硕士。硕士毕业后回到本院任教,现任徐家汇分校校长。
  徐燕老师在大学院是专攻日本文化,她的日文造诣很深,自己还写了日文的小说,还在出版中。
  徐燕老师工作负责,尤其是教学有方,她带的二级班94%以上同学都通过日语能力二级。徐燕还年轻,一直保持下去,会大有作为的。


来日活動スケジュール

2005年11月  東芝株氏会社の作業管理資料の翻訳担当

2005年12月  ベトナム国際交流事業に参加

2006年1月   お正月にお父さん、お母さんと初詣

2006年1月   ウクライナ国際交流事業に参加

2006年2月   名古屋衣台高等学校で中国語の授業担当

2006年2月   東京海洋生物博覧会で通訳担当する予定(大学院受験でキャンセル)

2006年5月   名古屋中国語文化中心 第二回二胡演奏会 係員担当

徐艶  

 
         徐艳老师自去年10月份赴日本进修才半年时间,就能够顺利地进入硕士课程班。今天发表的这篇文章,正好是徐艳老师进入硕士课程上课的第一天。